【新潟県の”かしわざき”へ移住しました】#5 かしわざきの良い所や歴史(松雲山荘について)
こんにちは!kashilog(かしログ)です。2020年の秋に都市圏からかしわざきに移住しました。
↓前回は、「地域おこし協力隊」の概要や新潟県・かしわざきの協力隊ついて投稿しました。
これまでは"地方移住"に関してのみの投稿でしたが、かしわざきや新潟県の良い所や歴史についても書いていきます。
今回はかしわざきの素晴らしき庭園、
「松雲山荘(しょううんさんそう)」についてです。11月いっぱいはライトアップでとても美しく彩られております。
なぜ作られたのか・いつからあるのか等、歴史について僕なりに掘り下げていきたいと思います。
その前に・・・先日「松雲山荘」に行ってきたので、写真をご覧ください!


ほんっっとに綺麗でした。美しく見えるよう、ライトだけでなく木々の位置や高さまで考えていると思います。お手入れがとても大変そうです・・・
これほど素晴らしい空間を無料で堪能出来るなんて贅沢すぎます。
敷地面積はまさかの9,600㎡!!野球場ほどだと思います。庭園としてはとてつもなく大きいですね。
↓こちらは園内のマップです。

園内はつつじやもみじをはじめ多数の樹木に覆われ、その間には灯篭、石碑、太鼓橋、池などを配しています。
樹木はドウダンツツジ350本、ツツジ1,650本、モミジ300本、赤松450本の合計2,750本!とんでもない数です。(数えるのも大変だったでしょう)
今や市内に限らず、県内外からも観光客が訪れる「松雲山荘」。
いつ頃から・誰のおかげで公開されることになったのでしょうか?
誰の庭園だったのか?
今は一般公開されている「松雲山荘」ですが、とある個人の邸宅でした。
かしわざきの実業家“飯塚謙三“(以下、飯塚氏)です。

100年以上も前にアメリカに移住し、現地で事業を立ち上げたパワフルな方です。
当時はどうやってアメリカに移動してたのでしょうか。飛行機なのか船なのか・・戦前で今ほど現地の情報や様子が分からない中で飛び込む勇気、、、凄い。
こんな方が、野球場ほどの庭園を作ろうと思うきっかけが非常に気になります。
四季の移ろいを常に感じたかったのか、生まれ故郷に美しい場所を作りたかったのか、
平々凡々な僕では到底思いつきません笑
いつ・どうやって作られたのか?
飯塚氏が帰国後、大正15年 44歳の時に数十年もかけて築庭されました。
数十年・・・それだけ綿密に造られたんですね。
また、伊藤武陵が描いた“六曲屏風絵(ろっきょくびょうぶえ)"がもとになっているそうです。六曲屏風絵は6枚で構成された屏風に描かれた絵のことです。
松雲山荘のもとになった絵が見つかりませんでしたが、↓の六曲屏風絵が一例です。

自分の気に入った景色(絵)を庭に再現するなんて、お洒落すぎますね。
kashilogの妄想劇場パート1

この屏風絵は本当に美しいな。毎日そばで眺めたいな

なら絵を購入してみては?

それもいいが、もっと全身で感じたいし、秋以外の景色も感じたいな

ならお庭を作ってみては?
みたいな感じでしょうか??(100%僕の妄想でございます)
かしわざきへの譲渡・一般公開
昭和46年、飯塚氏が89歳の時に柏崎市に譲渡しました。
その後、元内閣総理大臣 清浦奎吾(きようらけいご)に"松雲山荘"と命名して貰い、一般公開されるようになりました。
そして昭和56年(1981年)飯塚氏が99歳でお亡くなりになられました。
さいごに
“松雲山荘"の歴史を紐解くと、スケールの大きな一人のかしわざき人の人生が見えてきました。松雲山荘に行かれる際は自分が飯塚氏になったつもりで、自分の庭を闊歩するのもまた一興かもしれませんね🙆
ここまでご覧いただきありがとうございました。
このブログが誰かの・何かのきっかけになればうれしいです。
次回は「お米」について書きたいと思っています。かしわざきに来て、美味しいお米を何度も食べる機会があり気になってきております。
それでは!
↓参考にした情報です。
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